Oct 05, 2010
様々なクリニックヒアルロン酸注入がある
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「政治家は命をかけて仕事しなくちゃ…」
西岡武夫氏は昭和38年の衆院選で初当選以来、日本の行く末を案じ続けた、まさに信念と情熱と決断の政治家だった。
51年に「保守政治の刷新」を掲げ、自民党を離党して新自由クラブを結成した。以後、自民党復党も含め多くの政党を渡り歩いたが、これも国家の将来を案じた上での決断だった。
平成6年に民主党の小沢一郎元代表らと新進党結党に参画。以来、小沢氏と行動を共にしてきたが、自由党時代には、民主党との合併に慎重論を唱えて小沢氏を困惑させた。小沢氏も一目置く存在で、政策・政局課題などではしばしば相談相手になっており、小沢氏に直言できる数少ない政治家の一人だった。
実際、今年6月、東日本大震災の復旧、復興の足かせになっていた菅直人政権に危機感を持った小沢氏はひそかに参院議長公邸を訪れ、「今の危機的状況に対処できるのはあなたしかいない」と、約2カ月後に予定されていた民主党代表選への出馬を求めた。
西岡氏擁立劇は不発に終わったが、その後も参院議長として歯に衣(きぬ)着せぬ発言、行動を続けた。10月27日付産経新聞朝刊には、遺稿となった1面コラム「決断」を執筆し、野田佳彦首相をはじめとする全国会議員に政治家としての覚悟を促した。
こうした言動ゆえに、政界では「気難しい」「孤高の人」との評や「議長の分限を逸脱している」との批判もあったが、実際には地位におごることのない、気配りの人でもあった。
約20年前、駆け出しの政治部記者だった私は、自民党総務会長だった西岡氏の担当になり、政治記者のイロハを教わった。周囲からは「西岡学校」と揶揄(やゆ)する声が出るほどだった。「政治記者を育てるのも政治家の仕事」「政治家は『知らない』『言えない』と言うのは良いが、事実と異なる嘘をついてはいけない」と常々語っていたが、その裏には「誤った報道で被害を受けるのは国民だ」という思いがあったのだ。
コラム「決断」は、帯状疱疹(ほうしん)で体調を崩された中での執筆だったが、題字を含め、締め切りギリギリまで推敲(すいこう)を重ねるこだわりをみせた。掲載後、西岡氏から届いた名刺には「わがままばかりで申し訳ありません」と書き添えられていた。(新井好典)
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浮世絵から着想したバレエ
27日投開票の大阪市長選に立候補を表明している前大阪府知事、橋下徹氏(42)と、現職の平松邦夫氏(62)の討論会が5日、大阪市内で開かれた。
大阪の目指すべき将来像について、平松氏は「住民自治を大きな流れに」、一方の橋下氏は「市役所支配からの脱却」などと主張。時折、笑顔がでるものの、議論は双方が譲らず、最後まで平行線をたどった。
討論会は、産経新聞など新聞社4社が合同で主催した。
市長選に出馬表明していた共産推薦の元市議、渡司(わたし)考一氏(59)が不出馬を表明。これについて、平松氏は「私は『反独裁』を唱えてきた。(渡司氏の支持層を取り込み)より幅広い戦線を築きたい」と支持拡大に期待を寄せた。一方、橋下氏は「もう笑っちゃう。日本の政党が何のビジョンもなく反維新、反橋下でまとまってしまう恐ろしさがある。政治の弱さの象徴だ」とバッサリと切り捨てた。
当選後、最初に取り組みたいことを、橋下氏は「市長の仕事を仕分けし、権限、財源を区民、市民に戻す」と主張。平松氏は「市民と直接話をし、意見も聞いており、区政改革の議論は積み重ねている」と反論した。
さらに、橋下氏が持論の大阪都構想について「政令市制度を全て否定しているわけではなく、広域行政、基礎自治体を考え直す必要がある」と説明すると、平松氏は「都構想は時代に逆行している」と反発した。
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浮世絵から着想したバレエ
岩手県内の仮設住宅に、避難所取材を通じて親しくなった50代のおばちゃんがいる。今や取材で疲れたり、ネタ探しのついでに会いに行く、良き話し相手だ。切り盛りしていた店舗を津波で流されたが、悲愴(ひそう)感はかけらも見せず、いつも元気いっぱい。そんなおばちゃんが、一度だけ私の前で涙を見せたことがあった。
「誰か助けて」「苦しい。耐えられない」
狭い部屋の中で、おばちゃんが子供のように泣きじゃくっていた。あっけらかんとしたいつもの雰囲気は消えていた。自営業を再建する道のりの厳しさに、眠れない日が続いていること。老後のための資金を見舞金で寄せる親族がいたことを知り、罪悪感に押しつぶされそうなこと。周囲につらさを打ち明けたくても、被災者同士では甘えられないこと…。話は止めどなかった。
「昼はばか笑いしたり、イベント準備や家事で忙しくして何も考えないようにしているの。でも、夜が来るのがこわい。みんな本当は迷惑だと思うの。私が被災してしまって、申し訳ない」
仮設住宅では、大概の人は「大丈夫、心配ない」と笑顔を見せる。それは一面にすぎないと知りつつ、いつの間にか安心させられていた自分が情けなくなった。追いつめられた姿に呆然(ぼうぜん)としている私に、おばちゃんが投げかけた言葉が忘れられない。
「あなたにしか話せない。この地域に全然関係ない、よそから来た人にじゃないと、今は甘えられないから」
記者は、記事を書いて多くの読者に伝えるのが一番の仕事だ。だが、5月からの被災地取材を通し「それだけじゃない」と感じることも増えた。
岩手県大槌町の引っ込み思案の麺職人のおじさんは、取材に応えたことが自信になって周囲への人当たりが変わったと、後で奥さんから電話があった。「被災地はもう新聞に見捨てられたかと思った」と、記者の腕章を見て安堵(あんど)の表情を浮かべる漁師もいた。そして、地縁血縁への遠慮と気遣いの中でがんじがらめになったおばちゃんは、記者というよそ者を苦しみのはけ口にしてくれた。たとえ記事にならなくても、力になれることがあると気づかされた。
結束が固い被災地。なかなか本音が見えないつらさがある。「二度と来ないくせに」と言われることもある。でも、よそ者だからこそ受け止められる思いもあった。
取材の姿を通して、出会った人に「全国の読者は応援していますよ」と伝えられたら本望だ。思い上がりかもしれないが、それは記者だけじゃなく、ボランティアなど被災地を取り巻く周囲の役割の一つじゃないかと思う。
もうすぐ冬が来る。日が短くなり、道路の凍結が始まれば、取材時間は確実に削られる。寒さでボランティアの減少も見込まれる中、人々の動向が気がかりだ。「あの人は元気かな」。取材の合間には、また誰かのところに顔を出したい。どこまでも「絆」を手繰っていきたい。(東北総局 渡辺陽子)
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